日本ゴルフコース設計者協会のメンバーのコース改造改修の話を聞き続けてくると、コース設計の本質が垣間見えてくる。
設計者個々のゴルフに対する思想、及び自然との調和……などなど、そのセンスはひと言でいっても千差万別だ。
今回の小室嘉彦氏のセンスは如何ようなものだろうか。
小室氏は1937年、東京葛飾の生まれ。現在の会社((株)小室企画設計事務所)内容を見ると、仕事は単にゴルフ場の設計にとどまらず、街や施設開発企画など、多岐に渡っている。
会社のコンセプトとしては「いかに自然と関わっていくのか」というメインのテーマである。
コースデザインについて小室氏は「自然との調和が最も優先されなければならない」と常々語っている。ここで大切なことは、小室氏がデザインというものを過信していないところ。
「自然との調和ということは、デザイン力によって強引に自然をねじ伏せるのではなく、あるがままの自然を如何にデザインに取り込むかによって調和を計ること」と考えているのだ。
「あらゆるスポーツの中でゴルフほどフィールドの美しさを求められるものはないと思う。自然を取り込むことによって、結果的にそれが戦略的に優れたものとなり、調和の取れた美しさを造り、加えて時の経過がプレーヤーに愛されるコースを造って行く」と。小室氏のこの考えは、数々の“作品”によって実践されてきている。
オーナーにとってはイヤ味な奴で煙たがられ
どの設計者もそうであるように小室氏の場合も、ゴルフコース設計に当たって最も重要視するのは“オーナー”とのコミュニケーションであろう。
ゴルフ場建設の先頭に立つリーダー=オーナーが全体のプロデュースをしているといっても過言ではない。用地を選定し、確保し、デザイナーを決め、運営システムも決めていく。
プロデューサーであるから、オープン後の運営=経営も考慮し、ゴルファーに人気のあるコース造りを目指すもの。ただ人気というのはコースデザインだけが負うものではない。ロケーション、メンテナンスの良否、難易度……。オーナーの中には、ただひたすら難易度を高めようと、距離も長く……といった御仁もいたようだ。
「ゴルフ場の設計に当たってオーナーからは『小室さん、とにかく“いいコースを造って”』と依頼されるので、聞き返すのです。オーナーにとっていいコースとはどのようなコースですかと。すると様々なファクターが出てきます。7,000ヤード超え、パー72で、平坦な林間コース……。用地の地形によって平坦云々は制限があるし、それを無視すれば法面ばかりが目立つ、段々畑のようなコースになってしまう。高低差を無くそうとすれば重機を投入して、土を大きく動かし、元の自然が想像できない状態にしてしまう。これでは一時、ゴルフ場建設ブームに沸き返っていた頃に“ゴルフコースは自然破壊!”と糾弾されたのも無理のないことでしたね」。
小室氏が言いたいのは、7,000ヤード超、パー72の平坦な林間コース……という、オーナー達が描くステレオタイプのコースイメージの無意味さだ。
「で、しつこくオーナーのイメージを問いただすと、“小室は可愛気がない。イヤ味な奴”と嫌われてしまう。で嫌われたら仕事になりませんから……」と笑う。
ゴルフコースの設計・造形に当たって1本筋を通してきた。これが小室嘉彦の設計家人生。仕事が少ないと笑う小室氏だが、どうしてどうして“理解”のあるオーナーも多く、1972年のゴルフ倶楽部成田ハイツリー(千葉)の基本設計を皮切りに全国に20に近いコース設計を続けてきている。
現場重視で、一度に2コース以上はできない
ゴルフコースの設計者の名前を追っていくと、著名なトッププロの名前を見ることがある。ゴルフ場建設会社からすれば、誰もが知るトッププロの名前を戴けば、会員募集などで大きなアドバンテージになった。
しかし実際は図面に目を通すでもなく、現地に赴き攻略面でのアドバイスをする程度であろう。そのプロの声を生かしつつ、18ホールなり、36ホールなりのゴルフコースを仕上げるのが実際の設計者の役目であった。
小室氏の最初のゴルフコースである成田ハイツリーもそんな形でスタートした。オープン時のオーナーであった高木社長との縁で設計を引き受けた。従って、コースガイドの設計者の欄には小室氏の名前はない。
しかし、オーナーとの信頼関係は強く「思う存分、イメージを生かせた」と小室氏は回顧する。
30万坪というゆったりとしたスペースの中に、18ホールがレイアウトされており、バックティから全長7,027ヤード。フロントティから6,109ヤードと1,000ヤードの差を持たせ、上級者とアベレージゴルファーの技量の差に配慮している。また植栽も美しく、自然を生かしたデザインはオープン当初から注目された。
小室氏へのオファーは成田ハイツリーの“成功”をきっかけにして増えることになるが、オファーに対しては例の「オーナーにとっていいコースとは?」の問答で、淘汰されていったようだ。
設計者として思う存分の仕事を成し遂げたのは3コース目にあたる小幡郷ゴルフ倶楽部だった。群馬県の甘楽町小幡、上信越自動車道富岡インターから5kmという至便の地に18ホールが拡がっている。
18ホール、バックティから6,630ヤード。フロントティから5,559ヤード……とやや距離的には短めではあるが、自然の起伏を生かし変化に富んだレイアウトは美しく、プレーヤーの球趣はつきない。まさに小室氏のセンスが花開いたコースといえる。
ゴルフコース設計に当たってはワングリーンを基本に考えていたが、この当時日本ではまだまだツーグリーンを要求するオーナーが多かったので、小室氏はメイングリーンを主体に考え、開場2、3年後ワングリーンで十分メンテに対応できることを確認した後、サブグリーンを撤去することを当時のオーナーから了解を得ておいた。
用地が十分ではなく全体的に片流れであった緑地回複のため当時としては破格ともいえる10億円という植栽費用が準備された。
新植された樹木は10年経過した後には見事に蘇り、文字どおり林間コースの佇まいを醸しだしている。18ホールをプレーすれば、各ホールの個性が生き生きと語りかけてくれるとでもいえようか。
小幡郷の完成と、女子トーナメントでTV放映され、また折からのゴルフ場ブームで、小室氏へのオファーは増え続けてきた。とはいえ、2001年の宜野座カントリークラブ(沖縄)まではほぼ毎年1コースが限度。
設計者の中には、同時に4、5コースを手がけることもあるが、「実際に現地に行って、コース近くに寝泊りして仕事に当たるのでせいぜい同時に2コースが限界ですね、私の場合は」と語る。
丁寧に丁寧に用地を調査し、歩き、植生を視察し、オープン後10年20年の姿を想像しながらというのは、かなりのエネルギーを費やすものであろう。そうした仕事の成果は、90年ニューワールドGC(宮城)、92年阿賀高原GC(新潟)93年ワシントンクラブ札幌GC(北海道)、01 年宜野座CC(沖縄)……などに残されている。
小室嘉彦氏の80 歳は圧倒的に、お若い。日本のゴルフ、ゴルフコースに対する慧眼もするどく、まだまだ声を発していただきたいものである。
(文責・井口紳) |