原設計/ 藤田 欽哉
改造監修/ 川田 太三
コース改造といっても様々な理由がある。オープン以来の時間経過による劣化に対する修繕。ゴルフ事情の変化に対して元来のレイアウトが適正でなくなったことに対する補正。2グリーンの1グリーン化やコーライグリーンのベント化などグリーン関連の改造等。
いずれにしてもこれらの事由によってゴルフコースが改造を決断するには、コース側のやむにやまれぬ諸事情があってのこと。その事情の最たるものは他コースとの差別化であり、入場者増を図るものであった。
ただし改造工事には、各コースの事情に応じた方法がとられている。コース全体に及ぶものなら、営業前後の時間を利用して少しずつ進めていく方法。グリーンの改造なら、営業をしながらテンポラリーの利用によって3ホールずつ工事を進めていくもの。27ホール以上あるなら9ホールずつクローズして、全体的に工事を進めていくもの。
いずれにしても営業は続け経営的なリスクを抑える努力をしている。ただし中には18ホールを全面的にクローズして10カ月ぐらいの工程で一気に仕上げるという例もある。今回取り上げた千葉カントリークラブ野田コース(18ホール)もそうした珍しいケースの一つである。
千葉CC野田コースは1955年に開場。平坦な66万平方メートルの松林に藤田欽哉氏設計による全長6,620ヤードのコースがレイアウトされた。株主会員制としての会員募集も林間コースの雰囲気が評判を呼び好調。プレー入場者も増え続け、第2の川間コース18ホールの建設を進め2年後に開場(後に27ホール)、さらに2年後には梅郷コースを開場している。
こうトントン拍子に建設が行われた裏には、最初の野田コースの成功がある。会員募集等の評判の良さが他の地主、地権者の理解を得て、用地確保をスムーズにしたといえる。3コースの中で最初に開場した野田コースであったが、コース改造は最後となった。
コース対策委員会で改造ディレクターを厳選した……
“コース改造”といっても千葉CCの場合は、ベントのメイングリーンとコーライのサブグリーンを最終的にはベントの1グリーンにするものであった。開場当時はいずれのコースもメイン・サブの2つのコーライグリーンであったが、途中でメインをベントグリーンとし、その後、2002年に梅郷がニューベント(ペンA-1)の1グリーンに改修した。こうした実績を踏んでいよいよ野田コースの1グリーン化、ニューベント(007)への改修となった訳である。
改造監修には川田太三氏があたった。改造にとって監修ディレクターの存在は大きいが、川田氏の指名はスムーズに進んだという。
千葉CCの武藤管理部長は「川田さんには藤原社長との知己もあって、梅郷コースの1グリーン化工事にアドバイザーとして参加頂きました。改修は順調に進み、1グリーン化の旧グリーンの撤去を依頼しました」と語る。旧グリーン撤去は意外にデリケートな作業なのだが、「結果は良好でした」(武藤管理部長)。梅郷コースでの実績は大きく評価され、コース対策特別委員会で審議。その結果川間、野田両コースの1グリーン化を依頼することが決定された。
川間コースは08年に工事が行われ、工事後の状態も順調で、こうした経緯も踏まえて15年に野田コースの工事が行われることになる。
18ホールを完全クローズ2月から9月まで一気に仕上げた……
千葉CCは川間27、梅郷18、野田18、計63ホールの大型コース。3コースとも“林間”の雰囲気が活かされた“名コース”として首都圏のゴルファーの垂涎の的。入場者も営業数字をあげているが、それでも営業的リスクを度外視して3コースに渡ってベントの1グリーン化を断行している。
会社側のゴルフに対する姿勢が理解される所以だが、川田太三氏は「会社の上層部や、コース委員長にゴルフに精通している人が多いということが、積極的な姿勢に繋がっているのでしょう。“ゴルフコースは1グリーン”という哲学がスンナリ理解されている。年間を通じてグリーンのメンテナンスを考慮しての2グリーンよりも、ティからターゲットが狭められグリーンに絞られる、その“ゴルフ本来の哲学”を尊重する空気が強いのでは……」と語る。
こうした精神は全てに渡って貫かれていて、それだけにディレクターとしてはやりにくそうだが、「いやそれが逆にやりやすいんです」と川田氏。「精神的に同じような部分が多いということもあり、すでに2コースの改造を行ってきた経験値も高い。従ってディレクターに対しても言うことがハッキリして話が早い。こちらが何かについてプレゼンするとすぐに答えが返ってきて、仕事がしやすかった」と語る。従って2月着工してからは大きな停滞もなく工事はスムーズに進んだという。
一番の問題はカート使用による公道越えだった……
野田コース改修の一番のポイントは、もちろんニューベントグリーンの1グリーン化だった。着工時点で、グリーンはメインのベント(007)とコーライのサブグリーン。従って工事はサブグリーンの撤去と日照と風通しを考慮した上で、最適な場所に新グリーンを設置することであった。
すでにニューベントの芝種の選択は必要なかったので、そのホールの性格に合った新しいグリーンの形状を考えて実施することに集中した。もちろん川田氏流のエッセンスを加えてではあるが。
川田氏の場合、芝種は現場のキーパーの意向を尊重する立場をとっているが、野田の場合、ナーセリーで数年間、研究を重ねてきたことも当然考慮している。
全体的な修繕としては例えば1番ホールのティグラウンド。前から野田コースのスタートホールのティにしては狭いと感じていたのでこれを拡幅した。また“公道”に球が出やすかった9番ホールのグリーン奥に、ちょうどカートを通らせるためマウンドを造って一石二鳥として対処。
野田コースには市の公道が走っており、一般車輌の往来も多い。歩きのプレーの時には横断歩道で対処していたが、カートの使用となると、市の指導で公道の下をトンネルで抜くか、橋を造って上を通さなければならなくなった。今回の改修後にカートの利用を決めていたので、この指導は川田氏に与えられた命題だったといえる。
「問題となるポイントは、クラブハウスからアウトコースへの出入り口。及び5、7番と6番ホールの間を通る公道をいかにクリアするかでした。下にトンネルを通すにせよ、“ゴルフコースの改修”では済まない土木工事となってしまい予算的にも厳しい……」
川田氏の考えは、あくまで“ゴルフコース改修の範囲でできないか”ということだった。
結論としては公道の両サイドにマウンドを造り、その山の頂点に短い橋を渡すというプランで、これならばコース改修の一部として進めることができる。
マウンドの両サイドを土で固定し、その頂きにカート路を導き、頂点間を橋で結ぶ。このプランは「我ながら上手くいった」(川田氏)というだけに、違和感なくコースに溶け込んでいる。
この他、川田氏が感じていたポイントを修正し、9月末には全ての工事を終了。その後の評判も上々とか。会社側とディレクターが一体となって進めたコース改造。経営的に忙しいコースには羨ましい限りだが、ゴルフの精神を何より尊重しているコースの有り様を教えてくれるケースではある。
(文責・井口紳) |