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GCA JOURNAL No.4
設計者の責任(ゴルフスピリットを形成する) 金田武明
 

コース設計者は、ゴルフの外観とスピリットを形成する。
(look and the sprit of Golf)

表現は単純だが、よく考えてみると設計者の責任と自覚の重要性を適確に表現していると思う。

唐突だが、ゴルフを演劇として考えると、コースは舞台である。しかも、大自然の中でそこの地形、樹木、潅木、川、池を巧みに使い、芝生その他の草を植え、風、太陽の方向等、あらゆるものを駆使しての舞台装置である。その舞台でどのような演劇がプレイされるかを推定し、洞察する能力も設計者には要求される。毎年くり返される競技の数は無限に近いが、厂史に残る名勝負が名コースに多いのも偶然ではない。舞台が、よりよい役者を育て、よりよい脚本を生むといった因果関係があるように思う。


万人が楽しめる条件

コースの宿命ともいえるのは、どのような名コース、難コースでも様々の段階の技術と力をもつゴルファーが同じコースでプレイすることである。

スキーのように技術別のルートが設けられるのではなく、初心者からトッププロまで同じ舞台でプレイする。その前提があるからこそ、近頃のコースには、ホールごとに四つも五つもティーイング・グラウンドを設けている。コースの目的は、ゴルフを楽しむためである。それは事実だが、“楽しむ”こと自体は山律ではない。だからこそ、設計者は“楽しみ”をひき出すために工夫する。

コース設計の厂史をみると、19世紀末から今世紀初頭にかけ、いわゆる設計の暗黒時代には、“楽しみ”よりは“苦しみ”を味わされたゴルファーが多かっただろうと推測される。これが、ペナル型の時代である。

ティーショットのミスを罰するバンカーは、50ヤード〜100ヤードにあった。ガタバーチヤ・ポールは、正確にスィートスポットに当らぬと、ボールは上がらずバンカーにつかまった。技術の上下で大きな差がつくのは当然だった。この暗黒時代はプロが片手間に設計したのだが、こうしたコースで技術上級者がますます優位にたつことになった。

1920年代に入ると、戦略型の考え方が発表されるようになった。攻略ルートをいくつもつくり、プレイヤーが選択できるように変るべきだという思想である。

ペナル型は、バンカー、ハザードの位置(フェアウェイを完全に横切るクロスバンカーなど)が、弱者には難攻不落だった。頭脳よりもカを要求するコース、選択を許さぬコースがペナル型だった。

戦略型コースは、思想としては新しい発見だったが、その原型は皮肉なことに古いコースの中にあったのである。

例えば、セント・アンドルースのジ・オールドコースがある。ティーショットの行きそうなところに存在するバンカー。これは、自然に存在していたのか。いくつかのバンカーは自然だが、数多くはゴルファーがつくったものと考えられている。ティーショットを打ち、ボールが止まる。当然、そこから第二打を打つ。リンクスランドの強風は、小さなディポット跡から砂をまきあげる。アンドラ・カーカルディー(オールド・トムの後継者。キャディー出身でR&Aのプロとなった)は「オールドコースでは二、三日見ないと新しい小さなバンカーが生れたものだ。」といっている。ということは、ボールが最も行きやすい場所がバンカーになってしまったのである。


原則を探求した三人

設計の暗黒時代(1885〜1900年)のコースは、攻略ルートが一本しかないケースが多く、ゴルフを楽しむ人数が制限されていた。

フェアウェイ両脇のバンカーあるいは、クロスバンカーが、ミスショットを待ち構える。 このバンカーを越えたり、まっすぐ打ちさえすれば、あとはトラブルがない。グリーン周囲にトラブルを用意する程度だった。

こうしたコースは、上級者にとっては全く問題がないから好スコアが出る。スコアリング、レジスタンス(スコアヘの抵抗力)が低いからである。ここに現われたのがハリー・コルト(アリスンの師にあたる)、H.ファウラー、J・F・アバーコムビーという三人のアマチュア・ゴルファーだった。実は、この三人が設計の暗黒時代を救い、それまでとは次元の異る手法を導入した。彼等はコースを研究し、ホールの特性を探り、芸術と科学を設計にとり入れ実行し始めた。

米国にゴルフが渡った時も、初期は思想もなく、粗製乱造の時代が続く。しかし、米国も英国も設計思想に対するゴルファーの関心は高く、特に米国では大恐慌(1930年)前夜まで、優秀なコースが生れている。

米国のゴルフは、スコットランドからの直輸入であったことと、初期の指導者がこぞってスコットランドで学んだことも大きなプラスとなった。


オーガスタの意義

1930年、球聖ボビー・ジョーンズが、グランドスラムを完遂して引退。今日でも隆盛を極めるマスターズの舞台、オーガスタナショナルが生れた。
「力だけではなく、頭脳も要求するコース」というジョーンズの理想と「誰でもが楽しめるコース」としたいマッケンジー博士の2人の接点は、攻略ルート選択をゴルファーに与えることだった。戦略型コースとして、当初から理づめで進んだのがオーガスタだったと考えてよいだろう。これが1932年。全世界をまきこむ第二次世界大戦でゴルフは下火となる。日本の場合は、コースだけでなくゴルファーが消えてしまった。戦争にかり出された若いプロは帰らぬ人となった数も少くなかった。

戦争が終り、米国は独走した。

特にコース造りは、他国に先行した。R.T.ジョーンズSr.とディック・ウイルソンが戦後のコース造りを引受けた観があった。特に、ジョーンズは、新しいコンセプトを普及し、新ゴルファーの急増に備えた。戦略塑の一つと考えられるヒロイック(又はバイト・オフ)な攻めを要求する設計は、活力あふれる米国人を魅了した。


コースの新潮流

日本に新しい時代が訪れるにはかなり時間がかかった。1957年カナダ杯が霞ヶ関で開催され、日本組が優勝、個人杯を中村寅吉が獲得した。戦後、経済的に貧困だった日本は、朝鮮戦争で急速に復興し始めた時期と一致したためゴルフも復活した。

しかし、コース造りは違っていた。R.T.ジョーンズ父子が、1970年に来日し設計して戦後はじめて米国型コースが生れた。

それからの20年間、日本のゴルフコース数は、世界でも稀有な成長をとげた。

特にバブル時代には、それまで想像もつかなかったデラックス・コースが生れた。

日本から視察に行く人々が、ぜいたくなリゾートコース、リゾートホテルに感激し、高額な金をつぎこんだ結果といえないこともない。毎週、わが家のように使うクラブと、年に一回行くリゾートとは、在り方が全く違うのだが、バブル景気で冷静な判断ができなかった人たちも少くなかった。


これからの日本

わが国で最も大きな問題は、各クラブがこれからどのように特色を出すかにある。

画一的になり過ぎてしまい、勝手につくった枠を守ろうとしているようにも思える。

ゴルファーの生活水準、趣味趣好、職業が様々であるように、クラブの方も色々な種類があってよい筈である。

社会が進めば多様化して来るという社会学の説は、わが国も例外なく適用されるだろうと考えられる。

身近な例では、旅行の変化がある。一昔前まで、社員旅行を喜ぶ人の数が圧倒的だった。

しかし、現在では、画一的な社員慰安旅行は決して一般的ではなくなっている。特に、若い年代層は、気の合った同志、あるいは、一人の旅を欲して来るようになっている。

ゴルフ場も、これからはマーケットリサーチ、深層心理の分析による新手法などが望まれるし、それに応じてコースも個性的な、特色のあるものに変って行かざるを得ない。

わが国のマーケット・セグメンテーションは、米国のように明確にはできない。

戦前の日本は、所得格差もあり、貴族制度、軍人、官僚、財閥等、階層社会の様相をもっていた。もちろんゴルフ事業関連の従業員の労働賃金は低く、米英の会員制クラブの真似事が可能な社会だった。

しかし、戦後の日本は、税制のおかげで世界で最も民主的な所得体系ができあがった。

企業のトップの所得を日米にみると、桁はずれな米国企業の経営者所得に驚かされる。
 GDPの一人当りをみると
  日本  $36、863
  米国  $26、159
  英国  $17、652
という信じられないほど、日本は独走している。日本のゴルフが社用族によって急発展した背景には、このような矛盾した数字があったといえるだろう。

バブル経済が、文字通り水泡に帰し、現在の日本ゴルフ界は、はじめて“個人”を消費者と考えねばならぬようになった。

1957年、カナダ杯でブームが始まった日本だが、それから約40年間“個人”を消費者として考えてこなかったツケが回って来たともいえる。

将来の日本のゴルフを考えると、ゴルフ元年を迎えようとしていると思う。

実はこの点を明確に規定しているのがゴルフルールである。

ゴルフ費用を扶養者以外の人、企業に払って貰うことを禁じているのである。(産業別対抗試合には細かい規制の条件つきで支払われることが許されている。)

ゴルフは、米国が悪くし(WORSE)、日本が醜悪(WORST)としたといった英国人がいた。

特に、社用族の存在が問題だったのである。バブル崩壊は、その意味でわが国にゴルフ再生のチャンスを与えることになった。

コースの個性化、差別化という問題を真剣に考える時が漸く来たのである。

数十年前に、故大宅壮一氏が“緑のお座敷”とゴルフ場を称したが、実はその時代からゴルフ再建を考えるべきだったのである。

競争というと、各コースの競争と思う人が多い。競争相手は、ゴルフ場ではなく、自動車であり、海外旅行であり、日常品である。

消費者のポケットは一つしかない。レジャー、生活の楽しみ、そうしたものに使う金は同じフトコロから出て来るのである。

ここからはじめて、ゴルファーの趣味、趣向、経済力、交友関係等々を考慮したクラブ運営が要求されるようになると思う。

これが、ゴルフ場の多様化である。

画一的なクラブ、コースでは、集客も難しくなって行くことは明白である。

私たち設計者協会も、新しい時代に対応して、マーケットを分析し、需要に応じたコース造り、メンテナンスの合理化、省力化のための改造等、解答を急がれている立場であることを認識すべきだと考える。

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