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GCA JOURNAL No.3
日本でコース設計した私的考察 ロバート・トレント・ジョーンズ・ジュニア
訳・金田武明

 

コース設計の基本的原則を日本に合わせるには、新しい考え方が要求されます。

私のデザイン哲学は、地形の特色を活かし、現地に融合したコースを創り出すことです。

1960年代の始めから日本に行くようになって以来、私の考え方をコースに活かすこと自体が大きな挑戦でした。日本で仕事をしたことのある設計者は、この挑戦のあることを理解しております。なぜなら、私達が設計を依頼される土地は希少なものであり、たいがい峻厳な丘陵か、山岳地帯だからです。

私は時に日本を“ヤマ・ランド”と呼ぶのですが、日本では原則的にゴルフをプレーする場所が山岳地なのです。

設計者として、このような険しい地形に、ゴルフが出来る起伏を創り出すには風景を変えざるをえません。これは日本でコース設計をする上で最も悩まされることになります。

しかし、この独特な地域を、日本のゴルファーが情熱を分かち合い、ゲームを楽しめるように、広いリクリエーションの場として変貌を遂げさせたとき、私達の焦燥感は満足感に変わるものでした。


1グリーンの重要性

日本での30年にわたる仕事を顧みると、いろいろなことが脳裏に浮かんできます。

最も劇的な変化は、日本訪問の初期の頃でした。その当時、日本ではツイン・グリーン(2グリーン)によってはっきりした四季の天候変化に対応するしかないと考えられていました。ツイン・グリーンは2種類の芝生、すなわち寒冷地用のベント芝と高温多湿に耐えるコーライ芝と呼ばれるゾイシアを使っていました。

残念ながら、このツイン・グリーンの利用の結果、問題が残りました。第一に各ホールのグリーン周辺が似たものになり、正直なところ退屈してしまうほどの繰り返しになってしまうのです。大半の場合、ふたつのグリーンが並び、その間にバンカーが両グリーンを分け、グリーンの外側にもバンカーがありました。グリーンの大きさと形状も均一で、真っ直ぐなプレイング・ルートになっていました。アメリカでの私自身の作品から考えて、日本のゴルファーは基本的な間違いをおかしていると思いました。その間違いの元になるものは、ゴルフをより刺激的にし、楽しいものにするはずのホールの“バラエティ”さです。

そこで私は1グリーンがどのような気象条件にも機能することを、日本の施主に納得してもらうように専念し始めました。当初、その私の考え方はなかなか受け入れてもらえず、将来的な施主からの抵抗さえありました。その多数派の人々にとって、1グリーンの考え方は日本の伝統に反する方法だと思われていたようです。

しかし、私達の依頼主である西武グループは1グリーンのアイデアで大規模な開発を目指しました。その結果、『軽井沢72』コースは1グリーンの典型的見本となったのです。(注1)
1グリーンの導入によって、私達はプレーヤーが挑戦したくなるような戦略を盛り込んだコースを造ることが出来たからです。1グリーンだからこそ、望み通りの大きさと形状のグリーンが造られ、さらに地形に適したグリーン面をデザインし、様々なショットを要求する変化ある防備をプレーヤーに提供出来たのです。

もちろん『軽井沢72』は私にとって日本の初仕事でもあり、特別な思い入れがあります。我が社の太平洋地域ディレクターのアール・ファーバーも、これらのコースで働き始め、日本でのプロジェクトを監督しています。

『軽井沢72』の造成中、面白いことがありました。ある日、造成の現場に出て、自分のデザインがどう表現されているかチェックしていた時のことです。フェアウェイのランディング・エリアにグリーンへのショットを防げそうな大木がありました。その木を取り除くかどうかを話し合っていましたが、私はそこの現場主任に「この木は移植するかどうか考える」とだけ言いました。その後数ホールをチェックして元の場所に戻ってみると、その大木は姿を消していたのです。現場のスタッフ達は私が「考えている」とだけ答えたのに「取り除いてほしい」と言ったと解釈してしまったのです。彼らはあまり大袈裟に考えるべきではないと私を諭しました。

しかし、これは違った環境で仕事をする上でのほんの一例です。外国でコース設計者が成功するためには、その国の文化、価値判断の基準を理解することが要求されるというのが私の考え方です。だから、私が日本で最初にコース設計をすることになったとき、日本社会を知るために“美”と“内なる静寂”を学ぶことに時間をかけました。

この勉強の成果を私は、日本のゴルファーにアッピールするコースにだけでなく、世界の他の国で設計するコースにも適用しました。例えば日本庭園は岩と砂だけで構成されることがあり(注2)、この美の原則を『プリンスビルゴルフ・リゾート』(ハワイ・カウワイ島)のバンカー内の大岩に具現化させました。そこへは日本からも多くのゴルファーが訪れることも知っていました。


挑戦意欲を導入する設計

1970年代から80年代にかけて、日本のゴルフは爆発的な成長を遂げ、需要は供給を越えました。西武グループが『軽井沢72』で開発したコースが高額料金のパブリックであったことも興味深いことでした。日本ではプライベート・クラブの会員でないかぎり、プレイする方法はないという常識的考え方に変化をもたらしたのです。それでもなお、需要は供給を上回り続け、大勢のゴルファーは練習場から抜け出せないでいます。コースでのスタート・タイムはとても高値だからです(注3)。

もう一つ、日本での私達の仕事で特筆すべきことは、信和グループでのコース設計でした。信和グループは日本でも、国際的レベルのコースがあらゆるゴルファーを魅了すると洞察していたのです。すなわち熱心なゴルファーは熟練したプレーヤー用のコースで自分の技量を試したいと思っているはずだと考えたのです。従って、信和グループは私達に手強く、逞しいコースを造る自由を与えました。それが後に『三菱ギャラン・トーナメント』などのプロの試合を開催することになる『ゴールデンバレー』と『パインレイク』です。

私達の日本ゴルフ界に貢献した最も重要な考え方があるとすれば、それは険しい山岳地形のコース用地でも、コースは自然に造れるということでしょう。私達の目標は傾斜地を可能な限りデザインに取り込み、地形を変えるときには全景がなるべく自然に感じるようにコースを仕上げることでした。私は地形が求めている穏やかで流れるようなスタイルでコースを仕上げたいと考えていたからです。

と同時に、私達が目指したコース設計は良いショットは許すが悪いショットはペナライズされるべきだという考え方で、当時の日本のコースによく見掛けられたフェアウェイ左右のノリ面のために悪いショットが予想よりはるかに良い結果になってしまうものとは違っていたのです。私達の意図するところはプレーヤーに媚びを売ることではなく、挑戦することで、私自身はその意味で日本での仕事は成功したと確信しています。

日本は私にとって友好的な国です。だから、日本の皆さんが私に対して、“日本のゴルフにいくばくかの楽しみを取り戻してくれた男、またはいちゴルファー”と見て頂けたら幸いです。

訳者注
1/『軽井沢72』コースはR・T・ジョーンズ・シニアが西コースをまず設計し始め、東コースに規模拡大する時期になって、息子のジュニアが主体になったという経過がある。グリーンにペント芝を導入、1グリーンにウォーター・ホールを多用するアメリカン・スタイル設計は確かに1970年代初期では画期的な方法で話題を集めた。しかし、当時の2グリーン・システムは軽井沢はもとより寒冷地にはなく、関東以西の寒暖地帯(トランジション・ゾーン)に多く見られたことを筆者は度外視していると思われる。ただし、ペント芝の1グリーンを日本に普及させた筆者の功績は見逃せない。1982年に完成した千葉の『オーク・ヒルズ』で本格的USGA方式のグリーン構造を採用してペント1グリーンに踏み切ったのが最初だったと思う。

2/ジュニアは父親の徹を踏んで、世界中に設計の仕事場を広げ、その国の文化、風土にイメージを触発される設計を特色の一つとした。日本の場合、彼は東洋美の様式や日本庭園にヒントを得たものもその方法で、ここで言う岩と砂の庭園とは、枯山水や竜安寺石庭を意味していると思われる。“内なる静寂”も禅思想の表われで、バンカー内に巨岩を配置したハワイのホールには“禅”というニックネームをつけ、岩は西、つまり日本の方角を指しているという念の入りようだった。

3/確かに日本の潜在的ゴルファーには練習場だけでの人口割合が多いがオイルショック前のゴルフ・ブーム時、かなり誇大に報道された嫌いがある。もっとも、アメリカの場合、平均的ゴルプアーでも年間15ラウンドというのだから、筆者がこうした表現をするのも当然なのだが……。

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