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月刊ゴルフマネジメント Architect's Corner  2018 May 協力:一季出版(株)
第10回 嶋村 唯史
 

ゴルフコース設計家としての嶋村氏を語るとき、氏と井上誠一氏との関係を抜きにして語ることはできない。両者の出会いは嶋村氏24才、井上氏66才のときであった。
今から約40年前となる1974(昭和49)年、日本経済は1973年のオイル危機を乗り越えて、新しい成長・発展へと動き出した時期である。嶋村氏の所属する西武グループでは、オーナーの堤義明会長の強力なリーダーシップのもと、壮大な構想を持っていた。それは日本の内外に、全部で30〜50のゴルフコースを建設するというものだった。
そのためにコース設計家は、地形の厳しい所には日本人の設計家を、地形の緩やかな所には外国人の設計家を使う基本方針が出された。その基本線に沿って検討が行われ、日本人には名匠井上誠一氏が、外国人では、アメリカ人のロバート・トレント・ジョーンズ(シニア)に白羽の矢が立てられた。そして、具体的には、井上には「瀬田」の北コースと「大原御宿」、ジョーンズには「軽井沢」と「北海道の大沼」があてがわれた。

巨匠との奇縁

この基本線でコース設計家との交渉が始まった。そこで井上氏から「それだけの数のコースを造るのなら、社内にコース建設に詳しい専門家を育てる必要があろう。教育は私がやってもいい」と言われた。そして井上氏からは「コース設計、建設の助手から身の周りの雑用までやってくれる秘書代わりの人物が欲しい。出来るだけゴルフに無知な人間が望ましく、職歴も問わない」との要望だった。こうして西武側が選んだのが嶋村氏だったのである。
これが、嶋村氏が井上門下に弟子入りした経緯で、極めて劇的である。
井上氏のコース設計思想は、イギリスの名設計家、チャールズ・ヒュー・アリソンの流れを汲むもので、戦略型を基本とする近代設計の本流だった。1930(昭和5)年、東京地方の日本人ゴルフの先導役だった「東京GC」は、本式の18ホールを駒沢から離れて建設すべく、埼玉県に「朝霞コース」を計画し、世界的に名声の高い“近代コース設計の父”と呼ばれたイギリス人ハリー・コルトに設計を依頼した。しかし、氏はすでに齢60、東洋への船旅は厳し過ぎる、加えて、本場イギリスやヨーロッパでの仕事も多忙、「自分は無理だが、同僚のヒュー・アリソンなら」とアリソンを推薦し、1920年代アメリカで活躍したアリソンが代役として来日した。
アリソンの在日期間は約2カ月と短かったが、主目的の「朝霞コース」設計の他に幾つもの重要な実績を残した。まず関西では、新コース「広野GC」の設計、「茨木CC」と「鳴尾GC」の改造、関西への途中立ち寄った伊豆半島で「川奈ホテル富士コース」の設計変更などだ。これ等は現在、何れも世界的に高い名声を誇っている。丁度このとき川奈で病気療養中だった井上誠一が、アリソンを通して「コース設計家」なる仕事の存在を知り、これに興味を抱き、間を置かずして、ゴルフを学ぶため「霞ケ関CC」に入会する。
アリソンは、関東で前年開場した「霞ケ関CC」(現在の“東コース”)を見て、“3ホールの手直しで世界的名コースになる、是非、私にやらせてくれ”と申し出た。
倶楽部ではこれを受け入れ、“全ホールの見直し”を依頼し、全面改造となった。工事現場にはアメリカから同行の建設担当、ジョージ・ペングレースが頻繁に現れ、熱心に現場指導を行った。この貴重な受講者が入会間のない、外ならぬ井上誠一だった。井上のコース設計・建設はここから始まった。“自分のコース設計の先生は、強いて言えばヒュー・アリソンである”と述べていたそうだが、仕事部屋には、アリソンの描いた「朝霞コース」の平面図が飾ってあったという。

「良いコース」とは

嶋村氏に対する井上氏の指導は、詳細な図面書きから、現場でのコース建設の進行チェックまで、木目の細かいものだった。ある時、「良いコースとは」と質問すると、一瞬間を置いて「品のいいコースかな」と答えた。コース設計には、ゴルフのゲーム面の要素と見た目の自然な美しさが必要である。しかし、究極の「良いコース」とは“品の良さ”という深い境地に落ち着く。これは、嶋村氏のコース設計・建設への信条でもある。井上は1981(昭和56)年、大原御宿ゴルフコースの建設を4ホール残して他界する。嶋村氏が井上と仕事を共にした期間は6年と短かったが、コルト-アリソンの流れを汲む井上から直々に設計・建設の要点を詳細に教え込まれた最後の弟子だった。その教えが鮮明なうちにと、嶋村氏は1989年、井上氏の教えを「ゴルフコースの計画と設計」と題する書物に纏めている。
この中で、イギリスやアメリカでは見られない“造成”なる概念が目を惹く。これはコースの“造形”に入る前の工程で、日本特有の問題と理解したい。日本のコース建設では、難しい地形の克服が避けられないからである。
アメリカの南カリフォルニアで「LACC」や「リビエラCC」を設計したジョージ・トーマス・ジュニアが1928年、「アメリカのゴルフコース設計-その戦略と建設」という名著を残したが、嶋村氏の著述はその日本版とみることが出来よう。

鳴沢GCの思い出

嶋村氏にとって最も思い出深いコースは、1993年、山梨県に三菱信託銀行が、「湘南CC」に続く三菱グループの看板コースとして企画した「鳴沢GC」であるという。当初の設計は“「小金井CC」の塩田三兄弟”(倶楽部選手権や対外倶楽部対抗戦で大活躍し有名だった)が中心に進めた案件で、大成建設が基本図面を書いていた。ここで西武グループの幹部に“貴社に井上誠一氏から教えを受けた設計スタッフが居ると聞いた。その人に是非図面を書いて貰いたい”と依頼があり、嶋村氏が設計図面武グループ内の50コースに、計画、設計、建設等で関与していた。「鳴沢GC」では、富士山の景観を巧く採り入れ、アメリカでマスターズの会場となる「オーガスタ・ナショナルGC」が持つ気品と美しさ、そんな“良いコース”の実現に力を注いだ。コース設計には一部オーストラリア人プロ、ブライアン・ジョーンズも参加して、表面的に“嶋村唯史設”ではないため、“設計者不詳のヒドゥン・ジェム(隠れた宝石)”とされる。現在も改造の手を逃れ、原型のまま維持されているのは喜ばしい。コース設計・建設の経緯を知らない多くのゴルファーは、“井上誠一設計の名コース”と信じている。流石は密な師弟関係にあった井上と嶋村、その類似性を表す心温まるエピソードである。
井上誠一設計を始め、日本の多くのコースが半世紀以上を過ぎ、特に樹木の成長が限界に達した例が多い。これ等も含め、コース全体を見直す時期にきている印象だが、この分野での嶋村氏の今後の一層の健闘を切に期待したいものである。

(文責・大塚和徳)

 

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