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第9回 川田 太三
 

ゴルフとの出会いとコースデザイナーとしての素地

現在は、日本ゴルフコース設計者協会のまとめ役の理事長職にある。この3月には改選があり、続投が決まっていて3期目に入る。理事長職の話は別の機会に譲るとして、川田太三氏は1944年東京の生まれ。立教小学校、中学、高校と進み、立教大学に入学したもののオハイオ州立大学に留学。立大は1年の12月に退学(後に3年から編入)。
留学は中学から始めた野球(捕手・右投げ左打ち)でのスカラシップ。逸材だったのだ。そのエピソードとして、高校卒業時には当時の大毎オリオンズからプロ野球への勧誘があったが即断。留学してからも異彩を放ち、ドジャースの目に留まり「メジャーにどうか」と入団の勧誘を受けている。そのときも川田青年は「NO」と即答している。
「体格もパワーも全然違う。なんの迷いもなかった。日本とアメリカのプロ野球を断わったのは、私くらいでしょう」と、当時を振り返り屈託なく笑うが、ゴルフとの最初の出会いは高校3年生に遡る。父親は1942年に日本アマにも出場している実力者。その父親に連れられて霞ヶ関CC東コースを初ラウンド。バッフィー、サンドウェッジ、パターの3本でアウトを60で回ったというから、ゴルフでも非凡さを見せている。
しかし、川田少年は野球一筋で留学。ゴルフにスイッチオンさせたのは友人の存在だった。肩を壊して野球を断念したその友人にゴルフを進めたのは川田氏。そして帰国した64年に一緒に我孫子を回り、「彼が38、36、38で、私は58、60、58でした。これで火がついて、絶対に上手くなってやると決めたのです」と、その心境を語る。有言実行、1日ボールを打つ日々。64年11月に霞ヶ関のジュニアメンバーとなり翌1月にはHD11、4月にはシングル入り。2年10カ月後には日本オープン出場を果たしている。もちろん日本アマ、関東オープン・アマなどの公式戦も。野球で鍛えた体が、一層ゴルフへと向かわせたのは想像に難くない。
そして、30歳で起業。得意の英語を武器にUSツアーのTV番組、アメフト番組の翻訳・編集などを手掛けながら、75年からゴルフ番組の解説にも携わるようになった。
「75年ころから、仕事としてTV番組でアメリカのコースをよく見ていました。コースセッティングの話やピンポジションの話、あるいはホール攻略の話など、画面を通して理解しながら翻訳をしていました。この知識は大きかったですね。国内では、公式戦で全国の一流といわれていたコースを身をもって体感していました」
全米オープン、全米女子オープンの解説で有名コースを見たことも大きい。ゴルフコース設計家・川田太三の原型がこの時期に出来上がっていたのだろう。と思ったら、「それは高校1年生の時かもしれない」と、意外なことを口にした。
「57年霞ヶ関でのカナダカップ、その時のコースレイアウトの俯瞰図が自宅にあり、これを見ながら画用紙に同じ大きさで写し描きしたのが始まりで、当時、ゴルフ誌に載っていたコースの俯瞰図を次から次と描いていました。スケールを使って100Yを3.21cmとして、寸分違わぬ図面を作成していました」
ゴルフをしたこともない少年だったのに、なぜなのか。「興味があったから」とそっけないが、程ヶ谷、相模、東京といった30コースを写し描いていたという。その延長線上には「尼崎CCとか自分で勝手に考えて、レイアウト図を描いていた」というから、なるほど、川田氏のコースデザイナーの素地は15歳の時に芽生えていたのかもしれない。

ゴルフコースの設計方法とポリシー

これまでに22コースをデザイン。その処女作は87年にオープンした小原CC(愛知県)。2作目が88年開場の成田GC(千葉県)と続く。氏の大きな特徴は、図面から基本レイアウトを決めること。
「現地の地形を見てとよく言われるが、窪地や高低がよく見えない。それよりも日本地理院の等高線図を見れば東西南北、高低差は一目瞭然。この窪地には、ここの土を削って埋めて……と、図面とにらめっこ。10時間図面を見ながらああでもない、こうでもないとやっていると図面が真っ黒になります」
川田氏にとって、至福の時なのかも。自ら「設計の勉強をしたことがない」と言い、マッケンジーの書物も読んでいない。「ロイヤルメルボルンやキングストンヒースに行って、彼の作品を見て体感したほうがいい」と。
図面を見て、最初に決めるのはクラブハウスの位置だが、ここでも持論を展開する。1、9、10、18番の放射線4本が取れる位置取りは当然だが、さらなるこだわりは、「ハウス内事務所の向きをどこにするのか。毎日ハウス内で仕事をするスタッフの職場環境を最優先に考えます。北向きはあり得ません」という。働く人たちを念頭に場所決め。そこで、ハウス設計家に対して変更を願うこともあるようだ。
では、川田氏のコースデザインをひと口で表現するなら、との問いかけには「広く狭く」と答えて、「プレーエリアは広く、ただしポイントで狙っていくプレーヤーには狭く。弱きを助け強きを挫く。この場合の『強き』は真摯にゴルフに取り組んでいる人ではなく、そこそこの技量を持っているが、頭でっかちで練習しないから安定していないような人のこと」と付け加えた。そして、「難しいデザインはいくらでもできるが、やり過ぎはいけません。その手前で抑えることが肝心」とも。グリーンでいえばポテトチップではなく、錯覚を利用する。2%の傾斜の妙を存分に発揮する。2段、3段グリーンは18Hのうち多くても一つか二つで、グリーンの大きさにもメリハリをつけて演出を考える。
朝日、西日も重要。ここで俎上に上がるのが、有名設計家がデザインしたハワイのコース。1番の真正面が東で、右サイドはOB。左からのコナウインドウはアゲンストで、ほとんどのプレーヤーが右OBへ。18番は西日に向かいシュロの木も、グリーンも全く見えず。「理解不能」と川田氏。
全体の流れとしては、「2番、11番にはパー3を造らない」とのポリシーがある。既設22作品中、11番パー3が1カ所あるが、これも止むなくだった。
「スタートして3〜4ホールは、パー4、5で進行をなるべくスムーズにさせたい」との思いがある。運営面をも考慮してのデザインだ。経営者にとってはありがたいことだろう。加えて、パー3の4ホールは可能な限り東西南北に。
「22作目のイーグルポイントGC(茨城県)では、パー3とパー5すべてがそれぞれ東西南北を向く設計ができました」
川田氏は満足顔を見せたが、「造成地の地形をどのように生かすのか」が大きなポイントとも。最初の作品である小原CCは高低差が100m以上あったが、その高低差を生かし戦略的に仕上げた。氏が理想とする地形の高低差は30mから40m。イーグルポイントは15〜16mだったので、土を掘り出して起伏をつけている。そして今、川田氏の興味はフラットな地形のコース改造にある。
「フラットなコースは、ティを上げたり下げたり、後ろにしたりと、少しでもメモラビリティを出そうとやっています。また、樹間の間伐でコースコンディションも見違えるほど良くなります。ハウス前の広場を整理すると、思いがけない空間が生まれ、コースとの結びつきが一変します。今、それに凝っています。」
どのように変貌するのか、大いに期待したいところである。

 

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