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月刊ゴルフマネジメント Architect's Corner  2018 Mar. 協力:一季出版(株)
第8回 中田浩人
 

中田浩人氏は現在、日本初のアウトソーシング専門会社として生まれたグリーンシステム(株)に所属している。同社は現在44コースをメンテナンスしており、その受託コースはもとより、多くの改造工事において中田氏は実績を積み重ね、昨年からは中国でも改造設計を手掛けている。
中田氏がゴルフコースに携わるようになったのは、大学の工学部を出て、東京の某大手造園業者に入ったことからだった。その経験は30年を超え、北海道から沖縄まで全国的なエリアで活躍をしている。

コース設計へのきっかけ

安田幸吉、川村四郎両氏の設計による平川カントリー倶楽部の造成にあたり、中田氏は当時大手造園会社の職員として造形張芝を担当した。その当時の思い出を中田氏は語る。
「当時は“仕上げ士”いう人がいました。ジョレンとお手製の板レイキとネコ(一輪車)が商売道具。Hさんという腰の曲がった爺さんがその人。いつもスルメをかじりながら、まさしく舐めるようにグリーン面やバンカーを手仕上げしてゆく。少しでも覚えようと手伝うと“そうじゃない”と言いながらも手ほどきまではしてくれません。まるで、君のような新入りがやれることではないと言わんばかり。重機造形では、Nさんというベテランオペレータが大型ブルドーザーで18ホールを1人で造形していました。彼の仕事は大胆かつ繊細、驚くべきはそのスピードでした。仕事ぶりを見ていると時間が経つのを忘れるぐらいでした。先発の重機土工から渡されるホールは土木的で直線的。まるでプールのような形状。それが見る見るうちに柔らかい曲線になっていく。両氏と共に会社内にはK専務という大先生がいました。井上誠一から赤星四郎をはじめ名設計家の現場をこなす、今でいうスーパーバイザーであり仕事師。K専務は週末に現場巡回と称してコース造りの指導に1.5m下がりで杭を打って、ここから60m左法面の裾へそこに立って!?とか、ハンドレベルを覗き“ハイ足元から2m下がりで、その間のFWの高さはその桝間から3%を取っておくこと……”といった具合で、それを頭でイメージすると、どんどんコースが立体的に変貌する様を思い出します。エーデルワイスGCでは、ダイデザインが設計監修、そこでもK氏は仕上げ指導にやってきました。ダイのスタッフの仕上げ方が気に入らない様で、年中ぶつかっていました。“奴らはな、グリーンに水が入ろうがお構いなしじゃ!それでこの日本の気候に合う訳がない”。ダイのスタッフが作ったすぐそのあとから、K氏による手直しの造形をしてゆく。まったくイタチごっこでした(笑)」
中田氏はまた、ダイの図面に感化されたとも言う。
「その当時は図面といっても高さを表記するか、グリーン面だけにコンターが単純に書かれているだけの図面しか見たことがなく、その他の日本人設計家の多くはコンター図を描くことは殆どありませんでした。それが、ティからグリーンまでが幾本もの綺麗なコンターラインの図面。これが世界での設計の常識かとその時は感じ、設計者への夢を見るようになりました」

コース設計者への道に舵を切る

3か所のコース造成現場を経験し、小室嘉彦氏が小幡郷ゴルフ倶楽部の設計をしていた頃のこと。若手助手を探していることを聞き付け、中田氏は小室氏の門を叩くこととなる。「先生は最初のセンター伐採から芝張りまで丁寧に視ていかれる方でした。先生の図面を見たとき、グリーンとバンカー周りには味のあるコンターラインが入っていた。この図面を早く書けるようにならないといけない」と中田氏は当時を語る。小室氏は多くを語ることはなかったが、「君は絵を描くのが好きか? 英語は話せるか?」と聞かれ、中田氏は「絵を描くのは好きです。英語は日常会話程度なら何とか」と答えた。小室氏から「その二つは君がこれから設計者となる上で必要なことだよ」と言われ、それから中田氏は毎日のように絵を描き続けることになる。コンターラインとスケッチ画その両立がなくてはいけない。それが武器となるという教え。「コースレイアウトも数多く書いてきました。高低差100mを超える地形に18Hを収めるのは至難の業というケースが殆どの時代でした。最初の頃はコンターラインが頭の中で、渦まくようにぐるぐる回っている時期が何年もありましたね。バブル時期の最後の頃にパーマー事務所との共作も3作ありました。パーマーのスタッフと何度となく図面のやり取りをし、彼らの意見や図面化しようとする方向性に食い違いはそう感じませんでした」(中田氏)

拠点を関西へ

その後、中田氏は関西の大手造園会社に移籍。関西圏はもとより、沖縄の宜野座カントリー新設でもその手腕を発揮することとなる。
そして、西宮カントリー倶楽部のグリーン改修工事の話が浮上した。当時のキャプテンから「廣野の大橋さんに設計をしてもらうことになった。その大橋さんがあなたを呼べというので来てもらった訳です。ついては西宮CCの立場に立ってこの大事業を成功させてほしい」と言われた。大橋氏とは、その2年前に加古川ゴルフ倶楽部でのグリーン改造工事を一緒に行い、成功を収めていた。その時、中田氏は某ゼネコンの所長から施工管理と施工図の作成を任された。監修者には小林佑吉氏を迎え、盤石な体制で仕事をしたことから、西宮CCの改修工事にも招集された。そして、当時のキャプテンの話を中田氏なりに深く考え、「Fit Plan」という設計事務所を設立して独立を決意。
西宮の設計管理、施工図の作成、工事見積、許認可申請も1人でこなした。「大橋氏の設計は加古川と西宮、いずれも素晴らしいものでした。やはり、世界のコースを知りアマチュア界で長年に渡り活躍された片鱗を感じるものでした。西宮は言わずと知れた井上誠一氏の設計ですが、大橋氏のテイストによって、グリーンは面白味と実用性を明らかに増しました。オリジナルは、300〜400平方メートルの小さな2グリーンでピンポジションも限られた面形成であることから、セカンドショットへの比重が高いものと感じました」(中田氏)
以降、茨木や加古川の更なる追加改造などを始め、幾つかの改修工事と海外での新設工事にも出向くこともあった。その後、現在のグリーンシステムに移籍をする。

設計手法について

「クラシックデザインのコース理論が世界の流れにあることは認識しています。勿論これからの改造設計においても、それらの発想を組み込んでゆくことが出来るならばよいとも感じますが、理論の後付けやきりばり的でもいけません。そのホールの地形にどのような発想がマッチするかの検証が重要です。コース設計は様々な仕事のスタイルが共存します。どんな手法が正しいということもありません。
私の場合は、図面と時にイメージスケッチで表現して、その意図を伝えるようにしています。改造においては特に図面から予算に関わる数量の明確化を心掛けています。それ以上に現場監修に重きを置き、時には即興的な変更もよくあることです」と中田氏は語る。
今後、新設設計はない日本のゴルフ界ではあるが、日本からゴルフ場が無くなることはない。何十年とコースが歴史を刻む中で改修・改造の必要性が絶えることもない。その中で、中田氏は50代とまだ若いがゆえ、今後の責任は重く彼に課せられてゆくことだろう。

 

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