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月刊ゴルフマネジメント Architect's Corner  2015 Oct. 協力:一季出版(株)
第28回 軽井沢72ゴルフの巻
日本ゴルフコース設計者協会
理事 嶋村唯史
 

原設計/ ロバート・T・ジョーンズ

ゴルフリゾートの誕生

「軽井沢72」は西武グループが『世界に通用するゴルフ場』をテーマに、1972(昭和47)年に72ホールの高級リゾートゴルフ場としてオープンしました。コース設計を当時世界の第一人者であったローバート・トレント・ジョーンズ・シニア氏(オーガスタの改造で有名)に依頼し、彼が設計したゴールド、ブルーの2コースを中心に、自社施工の2コースを加えた合計72ホールでスタートしました。憧れのゴルフ場として多くのゴルファーに知られる“72”(セブンツー)のネーミングはここからきています。

アメリカンゴルフニューウェーブの上陸

現在多くのゴルフ場で盛んにコース改造が行われていますが、45年前この“72”が当時の日本のゴルフ界に画期的な影響を及ぼした事実を存知でしょうか。その頃私も若輩ながらこの造成プロジェクトに携わっておりましたので、今回その経緯と諸先輩から聞いたいくつかのエピソードをお話したいと思います。
その一つがゴルフ場計画のコンセプト(目的)と指針となるマスタープラン(計画案)の考え方でした。
昭和30年当時、この南軽地区は一面見渡す限りの原野でその多くを湿地帯が占めており、これらの地勢条件がこの地区の開発を遅らせる原因となっていました。そこに当時ブームになりつつあったゴルフ場を中心にしたリゾートレジャー施設の話が持ち上がりました。もともと当地で9ホールのゴルフ場(南軽井沢ゴルフ場)を自社運営していたものの、さらに50万坪の広大な荒地に果たして「いくつのコースが入り、そして良いゴルフ場ができるのか」当時の担当者は困惑し試行錯誤を繰りかえしておりました。そしてゴルフコース設計の専門家で実績のあるアメリカのジョーンズ事務所に相談することになります。
設計を依頼されたジョーンズ氏は1969年6月調査のために来日し、踏査後、浅間山を望む広大な敷地を絶賛し、ゴルフ場適地としての自信を深め、さっそく構想作りに取りかかりました。そして72ホールのゴルフコースを中心としたゾーニング(マスタープラン)を練り上げて、翌年に新しいコンセプトに基づいたプレゼンテーションが行われました。
テーマはアメリカでのデザート地域開発(砂漠など荒地の緑化政策の一環としてのゴルフ場造り)の手法を活用した総合リゾートプロジェクトの提案でした。
具体的には用地内に多くの池(遊水地)を造り、掘った土で全体の地盤を上げ、土壌改善及び排水改良を行います。湿地全体をウェットからドライに変えることでゴルフ場にとって一番重要な植物(芝)の生育環境を整え、同時に掘った土を客土し、さらにマウンド用として随所に配してコース造形に生かしつつ全体の景観を整えていきます。今でも当時造られた池及びマウンドは生育した樹木とともにコースの重要な景観ポイントとなっており、池は全て散水の水源として生かされています。
このような経緯で軽井沢に突然「ゴルフ場とはこういうものだ」とアメリカのゴルフ場文化そのものが上陸してきたのですから、おそらく私も含め、日本の全てのゴルフ関係者に強烈なカルチャーショックを与えたのも事実でした。

ヒローイックパターンの導入

次に驚かされたのはコースデザインの斬新さと専門技術(ノウハウ)を駆使したゴルフ場工事の手法でした。
デザインコンセプトは、当時アメリカ国内でもニューデザインとして注目されていた報酬型ターゲットゴルフ、つまりヒローイック(heroic)パターンの導入でした。ホールは広く、グリーンも大きめです。数か所のピンポジションの一つ一つがグリーンの中の小さなグリーンの位置づけです。そして細長形状(滑走路型)のティグラウンドをホールによって複数配し、それぞれのティグラウンドの奥行き(前後差)で距離に変化を持たせ、ホール全体の戦略性を高める配慮がなされていました。バンカーは設計者曰く「マウンドをなだらかに仕上げ、窪地に残った雪のように白砂とエッヂラインをすべて見せる」と。ニューデザインはコースビューに人工的造形美と周辺景観とを調和させ、プレーヤーの視覚的印象度を強調する狙いがあったようにも思えます。
そしてコースの建設と管理の方法にも大きな変化をもたらしました。
工事は全てジョーンズ事務所から派遣されたフォアマンとオペレーター2人の指導によって測量から造形、散水、播種、養生まで終始一貫して進められました。造成は全て機械(ブルドーザー)を使い、特に直接コースデザインと関係するグリーン造形、及びホール修景作業はこの専属オペレーターの独壇場でした。この時初めて設計者の分身でもある『シェーパー』の存在とこの用語自体を知ることになります。
またゴルフ場におけるコース管理に対する基本概念の違いも明確でした。風土の条件を受け入れその条件と折り合いをつけながら育てていく芝作りから、技術によって芝そのものとその生育環境を整備していく、つまりコースをバイオテクノロジー・フィールドとしてとらえる考え方でした。初めにオールベントによるコースのエバーグリーン化の提案がなされ、そのための散水設備の常設、最新機械(大型及び特殊モア等)の購入と使い方の指導等、作業の効率管理を目的としたメンテナンス・インフラの整備も行われました。日本での洋芝使用は昭和35年に宮沢長平さんがスリーハンドレットクラブの18ホールのグリーンにペンクロスベントを本格的に使用した記録が残っていますが、おそらくコース全体をオールベントで仕上げたのは“72”が初めてだと思います。グリーン構造も彼らの指導の下、初めてUSGA方式(1960年グリーンセクション仕様)で造りました。
本来コース改造がテーマであるこのコラムにあえて“72”を取り上げたのは、前述したR.T.ジョーンズ氏自身もゴルフコース設計家としては、第2次大戦後のアメリカゴルフ場建設ブームの中断期に行ったオーガスタ(ジョージア)とオークランドヒルズ(デトロイト)の二つのゴルフコース改造の評価によって認められたとも言われているからです。
言うまでもなく、それぞれのゴルフ場には個々の歴史があります。コース設計に携わる者にとってゴルフ場に秘められた多くのエピソードを知ることは大変重要であり、また楽しくもあります。なぜならそこには先人の知恵と教訓があるからです。先人が何を考えていたのかその時代背景も考慮し、その苦悩と克服の経緯を知ることは新しい提案をする上での理論的根拠になり設計者にとっても大きな資質と財産になるはずです。

 

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