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コース設計家の歴史

「起伏の系譜」
夏坂 健(作家)

 ゴルフに関する最古の文献は、1475年にジェームズ二世による「ゴルフ禁止令」に始まる。国王の危惧は、当時の誰もが流行のゴルフに熱中して我を忘れ、とくにイングランド、フランスなど、周辺国と臨戦態勢にあったスコットランド軍の兵士たちの間でゴルフが大流行、武闘の訓練に身が入らなくなった事態に対する警告であった。しかし、ひと度このゲームに嵌まると容易に抜けられないのが宿命、合計3度にわたって発布された禁止令にもかかわらず、ゴルフは燎原の火のごとく広まっていった。歴史の彼方から設計家の姿が朧に浮かび上がるのは、あまねくゲームが浸透した1800年代の初頭からである。
 競技人口が増えるに従って、ティの位置、フェアウェイの幅、距離、グリーンの面積などに問題が生じるのは必然、多くは打球事故が原因だった。セントアンドリュースの記録にも次のように書かれている。 
 「神の逆麟に触れない程度の改修がささやかに行われた。その意図は、あくまでも打球事故の防止にあった」 
 誰がいつ、どの程度の改修を行ったのか、そうした記録は一切残っていない。リンクスは聖域にしれ侵すべからざるもの、もしコースの輪郭、用語、精神にこざかしい人間が立ち入った場合、それは「神物冒涜」の罪に値するというのがスコットランドの不文律だった。ゆえにコース改修者の名前を記録に留めるわけにはいかなかったのだ。
 初期の著名なゴルファーたち、例えばトーマス・キンケイド、ジェームス・バルフォア、サーウオルター・シンプソン、デビッド・R・フォーガンたちが、コース改修に手を染めたことは間違いないだろう。自然によるコース破壊に歯止めをかけるのが目的だとしても、その機会に不都合な部分が手直しされたと見るのが妥当のように思える。ほかにもゴルフの名文家とし知られたウィリアム・グラハム、バドミントン叢書「ゴルフ」の著者としても有名な全英アマの覇者ホレス・ハッチンソン、名手マイケル・トーマスなど、多くの名手がコース改修に協力したと思われるが、確たる証拠はない。あくまでもリンクスは神のご意志によって刻まれたもの、人の存在は無用とする思想が凛として生きたまま悠々の歳月が流れた。
 
 1894年、前触れもなくゴルフの世界に「コース設計」の名称が登場する。1年間のアメリカ視察旅行から戻ったケンブリッジ大学のハーブ・ジョーンズ教授は、スコットランド移民によって造られたシカゴ界隈のコースの粗悪さに愕然として、当時の新聞に次のように寄稿した。
 「スコットランド移民を名乗る詐欺師が、したり顔で設計したコースの中には、ノースベリックやセントアンドリュースのオールドコースにある石垣を模して、平坦な場所に石だけ積み上げた世にも滑稽な設計も少なくなかった。コース設計の意味も理解せず、馬術の障害物を並べて法外な設計料を搾取した者もいる。これはゴルフの健全な普及にとって由々しき問題である。そこで識者とコースの専門職に呼びかけて、ここに『コース設計』を一つの学問として確立させ、全方向から研究を重ねるゼミナールの開設を提案したい。」
 この呼びかけに応じたのが、トーマス・シンプソン、ヘンリー・ニュートン・ウェザレッド、ハーバート・ファウラー、ハリー・コルト、アリスター・マッケンジー、チャールズ・ヒュー・アリソンなど、当時のアマゴルフ界の代表選手約20名だった。しかし、残された記録によると、会の趣旨は「リンクスの再発見」に主眼が置かれ、設計にまで立ち入った活動は見られなかった。彼らはスコットランド北部、通称ハイランドと呼ばれる一帯に点在する「ブローラ」「ロイヤル・ドーノック」「ネイアン」「クルーデンベイ」などに足を運び、リンクスが分泌した起伏の妙に感動しながら大いに語り合ったが、一種の視察旅行が何回か繰り返されただけ、積極的にコース設計そのものに取り組んだ形跡は見られないが、のちに彼らの設計に大きな影響を与えたことだけは間違いない。

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